セルフライナーノーツ「out of music」M-3,4 おまけ(音楽制作の経緯)

M-03 [湖畔]

5分弱の曲ですがそこそこ展開があり自分でも結構気に入っています。
この曲の冒頭部分は1stアルバムのM-6「間奏2」をモチーフにしています。
元々は一つの曲であった「間奏2」でしたがこの時は曲を分解して、その一部だけ
を1stアルバムではインターバルとして挿入しました。
この湖畔の制作時に最初はこの「間奏2」は付いていなかったのですが歌詞を考え
ている時に詩として完成度を上げるには何かメロディを付け足した方が良いかもと
思って考えてみたものの、良いメロディが浮かばず、この「間奏2」を付け足そう
というアイデアだけが浮かびました。

自分の中では一応は1stアルバムからの流れを汲む事が出来るし、リスナーの誰か
しら気がついてくれたら嬉しいなという思いもあって転用は腑に落ちています。
(プロデューサー、ライターでもあられるウチタカヒデさんにレビューを頂いた
時はすぐさまにこの部分の指摘をいただきましたので秘かに感嘆しておりました。)

楽曲のテイストは1stアルバムの「木漏れ陽」にも似ていながらも僕自身が歌う事
を前提に作っていましたので詩のイメージは若干男性寄りに感じられるかもしれま
せん。後半、メインボーカルがromihiさんに変わる所は東北新幹線やLampのイメージがあったのだと思います、デュエットのようでデュエットではないという

感じを出したくてメインボーカルの切り替えを入れてみました。
そしてこの楽曲ではピアノ以外は演奏していないのですが結構リアルなソフトウェア音源のお陰で、曲が出来上がった後は楽器の音色が打ち込みなのか否かという部分にあまり耳がいかないのでその部分に関しては取りあえずの及第点かと思っております。

実はこの曲はこのアルバムの中では一番短い時間で完成した記憶があります。凝る
ことが出来たらもっと追求も可能だとは思いますが僕の場合は放っておくと永遠と
曲が終わらなかったり、組曲の様になってしまうのでそれこそ一曲作るのにで半年
~1年とかかかるかもしれません。(これはこれでやってみたいと思っているので
すが。)

追記
この曲を経て自分の歌声のスタイルが結構見えてきた気がして今までの楽曲もキー
を自分用に変えて歌える様に練習しています。もしかしたら弾き語りでライブなど
出来たらと思っていますのでみなさまにご連絡出来るよう頑張りたいと思います。



M-04 [H.S.P.]

滑稽な男(女)を主軸に、文字通り転げ落ちていくような愚かさの中に愛を求める
姿を描いてみました。僕は人間とはいつどんな時でも愛を求めているようなところがあって、それは怒りや憎しみで心が一杯の時でも止む事の無い「渇望」なんだなと達観している所があるのでそれを歌にしてみたいと思ってこの曲が出来ました。
(僕はこの曲を「斜陽」と同じ位置づけにしていて「滑稽シリーズ」と勝手に読ん
でいます。(笑))

H.S.P.というのは「ハイリー•センシティブ•パーソン」の略で感覚処理感受性が非常に高い人達の事を指す用語のようで、簡単に言うと外部の情報を普通の人よりも過敏に、過剰に感じ取ってしまう人達ということのようです。また僕自身が普通とされる人達よりもH.S.P.寄りであるようで、色んな問診をしてみましたがそれは明らかでした。
この楽曲の詩から想像するにはこの歌の中の人に一体何が起きているのか想像する
のが難しいのですが実際にはたいした事は起きていないという体になってはいます。というのは、何か出来事があったというよりも本や雑誌、ニュースなどから間接的に受ける情報に過度に反応しているという状態が主にあるのだと推測しているからです。(少なからず肉体的な変化も伴い出来事は起きてはいる。)

自分で書いておきながらこのように客観的な判断をしているのは僕の感受性が過敏
な事を考慮して、また普通(一般的)には外部の情報が僕のような人間から見ると
もっと簡潔に処理されている事を踏まえてなるべくわかりやすい言葉を詩に選んだので内容のイメージは伝わるのではないかと思っています。
なんだか難しい説明の様になってしまいましたが肝心の詩そのものについての言及は控えます。(これは各人が各々に捉えて頂いた方が面白いし、そのそれぞれがそれぞれ正解でもあったりする側面があるので)
楽曲はドナルドフェイゲンをイメージしていますが改めて聴くとドラムとベースの
単調さが似てるとは思うのですが他は似ていないかなとも思います。

 

ライナーノーツは以上です。


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そして予告させていただいた通り「歌曲作品集[小園]」のコンセプト、制作経緯について書きたいと思います。書き出すと思ったよりも自身で整理できていない事の多さに気づき、その整理の意味も含めて数回にわけ語らせてもらおうと思います…。

当時、4~5年前ですが一念発起して「自分の名前を掲げて残せる音楽を作りたい」という思いでスモールガーデンの曲作りを始めました。やはり受け仕事の音楽制作ではやりたいことは殆ど出来ないので自分の音楽を主体にした作品を作りたいとは20代の頃からずっと考えていたことではありました。とはいえさしたる才能も無いし、没頭してきた事といえばサックスでビバップフレーズをひたすら練習する事とベースでマーカスミラーとジャコパストリアスのコピーをやってきただけであるので、いざ楽曲を構築するという過程になるとそれは仕事の上ではゲームなどの作品に添える、登場人物や場面を引き立てる為にその時々で出来る限りのネタを出していくしかないわけでして、だがしかしそれは自ずと慣れを生み出して「この時はこう」「そういう時はあれでこう」といった具合にある種のパターンに陥ることになり、それは仕事をスムースに行う上では便利ではあるのだが少しずつ、徐々にその創造性が失われていき、気がつくと同じ様な楽曲ばかりになってきてしまう「悪循環」になるのが通例であったのです。これはある意味では仕事がうまくいっているともいえる状態でもあるのですが仕事一辺倒の人生を送りたいわけでは決して無い!?という生来からの気概を持っているようである僕としては自発的に音楽活動を行わなければならない必要性にかられて作品作りに励む形になりました。

大きなきっかけはやはり敬愛する冨田恵一さんの「冨田ラボ」の音楽です。
限界まで緊迫するメロディでありながらも普遍性を失わせずにその伝統的、また先進的なハーモニーと緻密な打楽器構成などで大衆ポップスに溢れんばかりの多彩な音楽性を詰め込んだ楽曲は2000年前後を境にポップスを一段も二段も芸術的なものへ押し上げた感があります。そんな冨田ラボサウンドに初めて出会ったのはもう20年近く前ですがかの有名なmisiaのeverythingです。当時はジャズ浸りだったのであまりポップスを知らなかったのですがテレビドラマのヒットもあって曲はよく耳にしていました。そのその後に音楽制作の仕事に就くと、様々なジャンルの音楽を聴いて勉強していくなかでポップスの普遍性を知ることになりました。それはジャズで言うところの2-5だったりバロック調でのミサ曲のsus4からの解決のように飽きを通り越した不変の伝統があるのですが、そんな伝統を冨田さんのアレンジでは生かしつつも明らかにわかる転調やテンション、ノンダイアトニックコードの多様によって新風を吹き込んでいました。
それまでにも80年代からは奇を衒う進行の曲がポップスでも増えてきていましたがそれらはとても実験的であり、またシンセサイザーやコンピューターのシーケンス機能を用いたとても機械的で、本当に機械が作ったようなサウンドのものでしたが冨田ラボの曲はそのような楽曲とは一線を画しており、伝統とモダンがとても良い塩梅で人の手によって暖かい音として音楽の中に息づいていました。この塩梅という加減にはもちろん好みの要素が多分にありますが冨田さんの楽曲が好きな要因の一つにジャズ寄りのハーモニーの多さがあることは間違いありません。
一方で冨田ラボの楽曲は多岐にわたり、トラディショナル寄りなアレンジと先鋭的なものや偏ったものも多いが総じて詩と音楽が乖離的な所を僕は感じている。それは聴き手に投げかけられていてあくまで聴き手が判断すれば良いという旨の事をご本人がイベントなどで語られていました。この一般大衆に迎合していない姿勢を持ってしてその音楽を投げかけ、かつその投げかけたものを受け取る聴き手が定数存在する音楽家は現代社会において稀であると思う。それは社会的枠組みに当てはめれば音楽家というよりは芸術家という域の仕業であると感じられるし、そこに自身の信念を持って対峙している姿には卑小で全てに出不精な性質を持ち合わせる僕の様な人間にとても凛とした素晴らしい人間に写っていたのはいうまでもありません。僕としてそれは音楽家としての視点、音楽を通してその人間のどのような部
分であってもその一部を垣間見た時にそれは音楽と結びついてある種の感動が生まれるきっかけになります。たくさんの音楽家や音楽と出会ってきましたが冨田さんのそれはとても鮮烈な感動を呼び、また今の今まで続いているほどの強く純粋な衝撃でさえあります。
その衝撃とはいうまでもなく「音楽を作る」ということ、ただそれだけに直向きな精神を感じさせるものでありました。

続く。