最近、言語表現における細分化に関心があった。アフリカのピダハンという部族は言語の数が少ないことで有名らしいのだが、宗教の概念がない彼らにキリスト教宣教師がその教えを説いたところ彼らの言い分を聞いているうち最終的に宣教師が無神論者になったという話を聞いて、社会の大部分は言葉の概念によって作られていることが裏付けされている様に思える一端を感じた。そもそもが、あるものを無いと言ったり、無いものをあると想定していることが歪みの根本でもある。前提とするものが確かなものといっても、確かなものがあるだろうか。「目の前に水の入ったコップがある。」というのも実は思い込みなのだという前提を受け入れる人は少ないだろうが、人間というのは2+2=5とする思考を成立させてしまう生き物なのだとすると2+2=4だという見方も学問的な範囲においては理論が成立しているに過ぎない。このように考えていくと物事を数字や言語によって表すことはその前提となる仕組みがなければ機能しないが、仕組み自体に曖昧さが内包されているので結局のところ全ては曖昧なのだ。